靖国参拝

本日、小泉首相が靖国神社を参拝した。
違憲か合憲か、法廷での判断も分かれ、賛否両論ある中での靖国参拝の強行であった。
現在の日中関係、今後のアジア外交を考えれば、やはり自重してもらいたかったというのが正直なところである。

もちろん先日の大阪高裁での違憲判断に対して、疑問が残っているのは確かだ。
首相による靖国参拝はあくまでも「公人」としての参拝であり、政教分離の原則に違反する、という判断であったが、政教分離を理由に違憲判断を下すのはやはり無理があろう。
歴代首相が元日に伊勢神宮を参拝してきたことに関しては、これまで違憲判断が下されたことはもちろん、問題視されたことすらほとんどないのだから、靖国参拝のみを違憲だと判断する必然性は全くない。
そういう意味では、大阪高裁における靖国参拝の違憲判断は、中国・韓国など隣国との関係を考慮した上での「政治的」な判断であったといえる。

では、司法による「政治的」な判断は無視されてもよいものなのだろうか。
この議論は非常に難しい問題を含んでおり、単純に結論づけることはできない。
ただし、もともと法というものが社会の軋轢や摩擦を解消するための一種の潤滑油として存在しているとするならば、たとえ「政治的」な判断であろうとも、それは日本のアジア外交をスムーズにするために下された判断であり、重く受け止めるべきものであると思う。

有人宇宙船「神舟6号」が無事に帰還し、中国国内が喜びに沸いていたまさにその当日に靖国参拝を強行した小泉首相。
早くも日中外相会談取りやめのニュースが流れているが、問題が再び大きくなる前に、自分のやったことの尻ぬぐいはさっさとやっていただきたい。

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