安倍新政権は多極化の波を乗り越えられるか
2006年9月20日の自民党総裁選挙の結果、安倍晋三議員が新自民党総裁に選出されました。
安倍氏は祖父に岸信介(元首相)・安倍寛(元衆議院議員)を、大叔父に佐藤栄作(元首相)を、そして父に安倍晋太郎(元外務大臣)を持つ、政界きってのサラブレッド3世議員です。
その安倍氏が、初の戦後生まれ首相となるべく、自民党の新総裁に選ばれたわけです。
政界・財界を問わず、様々な世界において感慨深い出来事であったことでしょう。
さて、安倍氏の目指す国造りのテーマは、その著書名にもあるとおり日本を「美しい国」へと変えていくことだそうです。
安倍氏の主張はいつも強烈なナショナリズムに裏打ちされたものであり、危険思想であるという批判も多いわけですが、とにかく今は決まったことにケチを付けるだけでなく、現在の国際政治状況の中で日本がどのような道を歩もうとしているのかを冷静に見て、その是非を個人個人できちんと判断していく必要があると思います。
以下、安倍新政権の行く末について、特に世界の政治構造の変化に対してどう対応すべきかに注目して、議論していきたいと思います。
靖国参拝と日中・日韓関係
2006年8月15日、終戦記念日における小泉首相の靖国参拝の強行は、冷え切っていた日中・日韓関係をさらに悪化させることとなりました。
安倍氏が今後首相として中国・韓国とどのような関係を築いていくのか、靖国参拝問題にどう対応していくのか、現段階ではまだ全く明らかになっていません。
ただ、基本的に右派思想であるとされる安倍氏による新政権は、潜在的に中国・韓国の反日感情を強める方向に動く可能性を否定できません。
さて、そうした「右寄り/左寄り」の立場についての是非はともかくとして、今日は日中・日韓関係の悪化が世界の政治構造の中でどのような意味を持っているのか、ということを考えていきましょう。
まず小泉首相による靖国参拝の強行が、本来的に何を目的としたものであったのかを考察します。
靖国参拝は表面的には、小泉首相の政治ポリシーを貫いた勇気ある行為、あるいは意味のない単なる小泉パフォーマンスのひとつ、というどちらかの見方になるかと思います。
しかしここでは、日本の対米従属戦略の一環としての靖国参拝、という観点からこの問題を捉えてみることにします。
この場合、特に日本と中国との関係が重要になってきます。
すなわち、米ソの冷戦時代から続く「日米同盟 対 ロシア・中国・北朝鮮」という構図を維持するために、日本は敢えて日中関係を悪化させる行動をとっている可能性について考えてみるわけです。
この発想は決して突飛なものではありません。
これまで強固な日米同盟の後ろ盾があってはじめて、日本はアジアの中で重要な位置を占めてこれたのだと考えるのは、一般に正しいでしょう。
近年中国が急速に国力を伸ばし政治的発言力を強めてきている中、日本は中国と対立しアメリカとの繋がりを強化することによって、アジアでの覇権を守り抜かねばならない。
そのような考えが裏にあって靖国参拝が強行されたと考えるのは、それほど無理のない発想だと思います。
もちろん靖国参拝には小泉首相の個人的動機もあったかとは思いますが、国際政治に大きく関わる行為を首相個人の問題として行うことは、いまやほとんど不可能です。
強烈な親米・従米姿勢を貫くための行為の一環と見るのが妥当だと思います。
さて、それでは果たして安倍氏がこうした小泉首相の反中姿勢を引き継ぐのかどうか。
これは今後のアジアの政治的構図を大きく左右する問題でもあり、私たちはこれから注意して安倍新政権の動向を見ていかなければいけません。
その一方で私たちは、そもそも対米従属戦略が今後国際政治においてどのような意味を持ってくるのか、についても考えていく必要があります。
二極対立構造と日本の立ち位置
第二次大戦以降、アメリカは中東地域やその他の途上国全般を新米・親ソの二つに分類し、そこで発生する紛争を冷戦という二極対立構造の中で解釈し処理してきました。
そしてその後、ソビエト連邦の崩壊によって冷戦構造が崩れてからは、新しい二極対立構造つまりアメリカ対イスラム諸国という対立構造によって、世界のパワーバランスは調節されてきました。
この二極対立構造の中で、日本を含め親米・従米路線にあった国々がその対立構造の中で、アメリカを後ろ盾に政治的・経済的覇権を強めるという恩恵を受けることとなりました。
そうした新しい二極対立構造の中、1991年アメリカとイラクはついに湾岸戦争へと突入します。
それから10年、アメリカのブッシュ政権はチェイニー副大統領を中心とした最右翼主義者、いわゆるネオコンの影響により次第に単独覇権主義へと傾いていきました。
そして9.11のテロ事件以降その勢いはさらに加速され、ついには世界のパワーバランスを無視したイラクとの「正義の戦い」へと突き進むことになったのです。
この二極対立構造から単独覇権構造への動きの中で、親米あるいは従米諸国の立ち位置というものは大きく変化したいったと言えるでしょう。
今回は、この世界構造の変化の中で日本を含め各国が選択してきた立ち位置について考えていきたいと思います。
まず親米路線を継続した国として、イギリス、イスラエル、そして日本の3国を見てみましょう。
イギリスはアメリカのイラク侵攻に積極的に参戦し、テロ戦争を軸とした二極対立構造を改めて作り出そうとしました。
しかしアメリカのイラク占領が泥沼化していく中、イギリスではブレア政権への非難の声が高まり、未だ効果的な二極対立構造を作り出すに至っていないのが現状です。
イスラエルも同様に、テロ戦争を利用して「キリスト・ユダヤ連合 対 イスラム連合」という二極対立構造を再構築することを試みました。
ヒズボラとの戦争を強行したのも、それが最大の理由だったのだと思われます。
しかしイラク統治に手こずっているアメリカをイスラエルはうまく利用することができず、結局ヒズボラを壊滅できないまま宙ぶらりんな状態で一時停戦を迎えることになってしまいました。
ここでも、効果的な二極対立構造の中で自国を生かしていくことは叶わなかったのです。
そして日本。
60年安保から続く緊密な日米同盟のもと、日本はこのテロ戦争においても対米従属戦略を貫きました。
また中国やロシアとの関係についても、冷戦構造を思わせる二極対立構造を作るべく、日米同盟の強化を図っているかのような気配すら感じます。
日本がアジアにおける「日米同盟 対 ロシア・中国・北朝鮮」という構図を今後も有効活用していくことができるのかどうか、これが現在やや微妙な状況になっていることを私たちはしっかりと認識しておかねばなりません。
さて、一方で反米・非米路線を全面に出した国としては、EU(ドイツ・フランス)・ロシアがその代表でしょう。
これらの国は早い段階からアメリカのイラク侵攻に対して非難を表明し、アメリカの単独覇権主義に対抗して世界に新しい政治構造を作り出そうと動いています。
そしてその向かう先は、国際政治上の権限を世界各地に分散させて世界全体の経済力・政治力の底上げを図る「多極化構造」であると言われています。
それでは今後この多極化構造が主流となった場合、アメリカは、日本は、これからどういう道を辿ることになるのでしょうか。
多極化構造へと向かう流れの中で
アメリカのイラク占領・治安回復が短期間で実現され、ネオコンの狙い通りアメリカの単独覇権主義による世界の安定化が実現されていれば、イギリス・イスラエル・日本といった親米諸国にとっては幸せな世界になっていたかもしれません。
しかし、残念ながら事態はそうはなりませんでした。
イラクでの戦後処理は泥沼化の一途をたどり、アメリカの覇権は失墜し、世界中で反米・非米感情は高まる一方です。
最近では、このままアメリカの覇権失墜が続けば、その後アメリカは孤立主義に陥るかもしれないという指摘さえ出るようになり、アメリカ中心に動いてきた世界が今大きくその構造を変化させようとしている雰囲気が感じられます。
そこで今回は、アメリカの単独覇権主義が惨敗した後に訪れるであろう世界の「多極化構造」への流れについて考えて行きたいと思います。
ここで言う多極化とは、「世界全体の経済成長率を上げるため、経済成長の潜在性がある先進国以外の国々にも、国際政治上の権限を分散し、途上国の成長を喚起すべきだ」(田中宇「国際ニュース解説」)という考え方のことです。
すなわち、中央集権的な政治構造から地方分権的な政治構造への転換を意味しています。
多極化へ向けての代表的な組織としては、EU(欧州連合)やASEAN(東南アジア諸国連合)などが挙げられます。
特にEUは通貨統合を経て、政治的にも経済的にも既にひとつの大きな極を作り出していると言えるでしょう。
今後、世界がアメリカの単独覇権主義から多極化構造へと移り変わるクリティカルな契機となるのは、おそらくイスラエルのイスラム諸国に対する敗北であろうと予想されます。
イスラエルは先日のヒズボラとの戦闘の結果、イスラム諸国における反米・反イスラエル感情を強烈に再燃させることとなりました。
しかしそれに対して後ろ盾となってくれるべきアメリカは、イラク統治に手間取りイスラエルを支援することが叶わない状況に陥っています。
もしこのままアメリカが中東での軍事力・発言力を弱め、イスラエルを「見捨てる」ことになってしまえば、中東でのパワーバランスは一気に崩れることでしょう。
そしてそれは、イラン・シリア・レバノンを中心としたイスラム連合によってイスラエルの覇権が崩壊させられ、イスラム諸国による政治的・経済的な極が中東に生まれることを意味しています。
この余波はイギリスにも日本にもいずれやってきます。
イギリスは親米路線を引きずってしまったため、EU内での発言力は既に弱まっており、欧州においてはドイツ・フランスを中心としたEUとそこに歩み寄ってきているロシアとによる多極化が進むことになるでしょう。
またアジアにおいても、今後その成長を期待される中国が中心となり、ASEANとの間に緊密な関係を持った巨大な政治・経済マーケットが生まれる可能性は否定できません。
このことは、アメリカが6カ国協議における北朝鮮問題を中国に丸投げしている態度から見ても、「悪の枢軸」に対する戦争が惨敗に終わった場合に、アジアの多極化の中心が中国になることおそらく避けられないでしょう。
こうした世界の多極化構造への大転換の中で、これまで対米従属戦略を貫いてきた日本は今後どこへ向かって歩き出せばよいのでしょう。
執拗低音に支えられた美しい日本の響き
安倍政権における最悪のシナリオは、日本の右化傾向が強まり北朝鮮との戦争に突入することでしょう。
これは単なる戦争の是非を超えて、今後の日本の世界における立ち位置にすら関わってくる大問題です。
現在イラク占領の泥沼化を通じてその覇権を失墜させつつあるアメリカに、日本を全面的にバックアップする余裕は無いと考えるのが妥当です。
そうすると、日本はイスラエルと同じ運命、すなわちアメリカに見捨てられ新しい勢力構図(中国中心のアジア)の中で衰退の一途をたどる、という道を歩むことになりかねません。
そこで最後に、安倍新政権がこれから世界の多極化に対してどう対応すべきか、という点について考えていきたいと思います。
考えるべき問題は、多極化の波が不可避なものとなりアジアにおいて中国を中心としたひとつの極が形成されるとき、日本は対米従属構造をあきらめて新しい状況に対応すべきかどうか、ということです。
これまで日米同盟によって日本の地位が守られてきたことを考えると、この新しい状況への対応は一種の賭けであるかのようにも思えます。
本当に日本は新しい状況下で生きていけるのか、中国や韓国との関係を保ちつつ日本のアイデンティティを維持できるのか。
すなわち、アジアという大きな枠組みに飲み込まれることなくその独自性を表現していけるのか、という疑問が当然わいてきます。
極端に言えば、今後も小泉首相が行ってきたように中国・韓国の反日感情を煽る行動を繰り返し、日中・日韓の対立構造を利用しながらアジアから独立した立場を選ぶ方が正しいのではないか、という考えすら出てくるでしょう。
しかし、ここではあえて新しい政治構造の波をそのまま受け入れ、その中で柔軟に対応する方針を安倍新政権は選ぶべきであることを主張したいと思います。
以下、この主張の妥当性を日本文化の本来的な特性に注目して考察していきましょう。
まず、そもそも日本の文化がどのように形成されどのように発展してきたのかについて、日本思想史学の生みの親であり大家であった故丸山眞男氏の研究を引用します。
丸山氏は「執拗低音(バッソ・オスティナート)」という音楽用語を用いて、日本文化の特質を見事に表現しました。
執拗に繰り返される低音主題の上声部で、連続して様々な変奏が展開される古典的音楽形式のことを総称して執拗低音と呼びます。
代表的なものとしてバッハのシャコンヌ(パルティータ第2番最終楽章)やゴールドベルク変奏曲などがあります。
これらの音楽においては、執拗低音そのものは確固としたメロディを持たず、その上で変奏される主旋律を支える役目のみを担っています。
しかし、変奏される主旋律は次第に執拗低音の影響を受け時には大きく変質させられ、独自のメロディを奏でることになります。
この音楽を変質させる見えざる力(というか聴こえざる力=執拗低音)こそが執拗低音による音楽の本質となります。
つまり丸山氏は、日本文化の本質は執拗低音としての文化であり、そこへ入ってきた別の主旋律、例えば儒教・仏教・西洋思想などを変奏することで、「日本らしさ」を形成してきたのだと結論づけています。
「端的に言えば、この国の歴史のなかから完結的イデオロギーとして「日本的なもの」をとり出そうとすると必ず失敗する、しかし、外来思想の「修正」のパターンを見たらどうか。・・・その変容のパターンはおどろくほどある共通した特徴がみられるという一点に尽きる。」(「原型・古層・執拗低音」『丸山眞男集』第12巻)
「絶えず新しい文化的メッセージを海外に求めながら、根本的には驚くほど変わらない、いわゆる「日本的なもの」を執拗に残存させるこの国の文化的風土。」(『丸山眞男 音楽の対話』中野雄)
さらに作家であり批評家でもある加藤周一氏も、その著書の中で日本文化について同様の考察を行っています。
「日本の文化は雑種の文化の典型ではないか」「およそ日本文化を純粋化しようとする念願そのものを棄てることである」(加藤周一『雑種文化 – 日本の小さな希望』)
結局、日本文化というものは、執拗低音がそのままでは独立の楽想となり得ないように、日本だけで独自に作り上げられるものではなく、外国からの主旋律をその上に乗せて変奏することで生み出されるということなのです。
そして逆に、無理に執拗低音を固有のイデオロギーとして実体化しようとする試み、例えば江戸末期の鎖国主義や戦時中の国粋・軍国主義などは、必ず無理が生じ失敗するということも同時に述べられています。
遣隋使や遣唐使による中国文化、ペリー来航による西洋思想、アメリカ進駐軍によるアメリカ思想など、確かに日本は全ての主旋律を外国から輸入しそれを執拗低音のもとで変奏することで日本独自の文化を生み出してきました。
このことについては納得していただけたかと思います。
さて、以上により安倍新政権が今後選ぶべき道は明らかとなりました。
これまでアメリカによる主旋律を受けて日米同盟という執拗低音形式の音楽を奏でてきた日本は、新しく中国、あるいはアジアという主旋律を受けてそれを執拗低音のもとで変奏していく生き方を選ぶのが、最も自然で正しい選択だと思われます。
間違っても、アジアの主旋律の受け入れを拒否して執拗低音そのものを前面に出すような国粋主義的生き方を選ぶべきではありません。
執拗低音だけで音楽を作っても美しいメロディーを奏でることはできないのです。
そこに別の主旋律を持ってきて変奏することで、初めて美しいメロディーを作り上げることができるのです。
これから数年の間に、世界の政治構造を大きく変わっていくことでしょう。
しかしどのような大転換を受けようとも、日本には外国からの文化の流入に柔軟に対応できる執拗低音が常にその底流を流れていることを忘れてはいけません。
多極化の波の中で変に意固地にならずに、新しく生まれる美しいメロディーによって「美しい国」日本を表現していくことを安倍新政権にはぜひ目指していただきたいと思います。






