ドールハウス 姫野カオルコ(角川文庫)

衝撃の「処女三部作」第一部。いやあ、ガツンとやられました。まさかこんなとてつもない小説家が日本にいたとは。これまで彼女の作品にあまり触れてこなかったのが悔やまれます。
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本作品は第二部「喪失記」・第三部「不倫(レンタル)」へと繋がる、姫野カオルコ「処女三部作」の第一部となっています。また、全て姫野カオルコ自身の私小説でもあります(だそうです)。それぞれ独立した作品としても楽しめますが、異なる主題を持った三楽章からなる長編小説として続けて読むのがまっとうな読み方でしょう。


本書の主題は「家庭という何者か」です。

「個」が優先される現代において、「家」が全てに優先された戦前の価値観のもと、軍隊並みの厳しい躾を受けた理加子。29歳処女。
彼女にとっての “ふつう”。

近代的自我の確立を背景に、「個」と「個」の格闘としての恋愛を描いた、世にあふれる「恋愛小説」。非処女。
時代が作り出した世間一般にとっての “ふつう”。

前者の “ふつう” が、後者の “ふつう” に圧され、潰され、沈黙せざるを得ない現代。その沈黙(silence cry)を掬い上げるために、前者の代表として「家庭という何者か」を背負わされた理加子の不幸・不運が描かれます。

恋愛それ自体に到達できぬ未熟な、さらにいえば未熟でいなければならぬことを余儀なくされる環境にある人間も生息はしているのである。

(中略)

未熟をひた隠しにし、ひたすら「個」を撲殺しつづける。これはネガティブである。破壊に向かうしかない不運である。このような層に、このような層に属していた者として、このような層を掬いたかった。

最近のいわゆる「モテ・非モテ問題」、あるいは一昔前の「恋愛至上主義問題」の先駆けともいえる作品といえるでしょう。というか、女性の視点から個としての未熟さ、恋愛へ至らない未熟さ(=処女)を描いて成功した作家は、いまのところ姫野カオルコ以外にいないかもしれませんね。
#男性側の “ふつう” と “ふつう” の問題は、おそらくある種のオタク文化を通して語られてきたのではないかと思いますが・・・。


姫野カオルコが掬い上げた層が、この小説によって救われることを願います。

『パンのピノキオ』というとてもまずいパン屋があったのを思い出して腹が痛いほどに笑った

そんな理加子のように、読了後は思いっきり笑って、明日への新たな一歩が踏み出してほしい。”ふつう” も “ふつう” もまとめて吹き飛ばして、バッグ片手に軽やかに家を飛び出してほしい。

姫野カオルコの理加子(たち)への「祈り」が、ひとりでも多くの silence cry のもとに届きますように。

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エビモリにっき
旅子の書庫(仮称)

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