自殺自由法 戸梶圭太(中公文庫)

ある日突然、「個人の自由で自殺をすることができる」法律が施行される。
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日本国民は満十五歳以上になれば何人も自由意志によって、国が定めたところの施設に於いて適切な方法により自殺することを許される。但し、服役者、裁判継続中の者、判断能力のない者は除外される。(「自殺自由法」)

公共自殺幇助施設「自逝センター」を利用することで、いつでも好きなときに個人の自由で自殺をすることができる。「死ぬ自由」が保障された世の中になったとき、人はどのような行動をとるのか?社会はどう変わっていくのか?そして、人生の意味はどのように書き換えられるのか?本書はこうした問いに対し、小説という思考実験の場を用いてひとつの解を示しています。まさに「問題作」と呼んでよい一冊。
#この本では「自分の意志で自殺すること」を「自逝」と呼ぶ。

正直、読む前は「自殺が自由にできるようになっても、社会が大きく変わるとは思えない。単に安楽死が一般の健康な人に対して拡張されるようなものでは?」という程度の認識でした。完全に甘かったです。仮想未来をリアルに想像した場合、そこに広がる世界は極めて「動物的」でかつ極めて「人間的」な、目を覆い耳を塞ぎたくなるような恐ろしい世界でした。

社会的弱者に対して執拗に「自逝」をすすめる自治体。「自逝」をビジネスに組み込んでいく会社。一族の体面のために息子に「自逝」を進める家族。「自逝センター」は常に人であふれ、順番待ちの列が延々と続く。個人の命の重さは極限まで薄められ、「自逝」の価値(=商品的価値)すら薄まっていく。「死んじゃえばいいじゃん」で全てを済ませることができる社会において、「人間の尊厳」や「命の尊さ」はただの飾り文句に成り下がり、安っぽい未来への希望など何も意味を成さなくなる。

本当に、もう、身も蓋もない内容になってます。そして、命の軽さを表すかのような、文体の異常なほどの軽さも印象的です。
これを「リアル」と呼ぶべきなのか。そう遠くない将来の日本と捉えるべきなのか。現在の日本の状況を振り返ってみると、その答えは明らかでしょう。生活保護給付金の引き下げ、高齢者負担増の医療費改革、そして障害者自立支援法。弱者を徹底的に切り捨てた「小泉改革」と、それを引き継いだ安倍政権。その延長線上に見えてくるものは、まさに公共機関によって用意された「自逝センター」そのものです。

巻末の「解説」で作家雨宮処凜はこう断言します。

「自殺自由法」は明文化されないままに、07年の日本に確実に存在する。(「自殺自由法」解説)

本書は、現代の日本において、書かれるべくして書かれた本だと思います。今だからこそ、読むべき一冊。ぜひご一読を。

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