自分探しが止まらない 速水健朗(ソフトバンク新書)

「自分探し」の落とし穴に転落しかかっているあなたへ。
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2006年ドイツW杯直後、中田英寿が「自分探しの旅」宣言とともに現役を引退。これをきっかけに、日本中に「自分探し」をする若者があふれました。「新しい自分」を求めて、世界中を旅する若者たち。そしてその若者たちの背中を押す「自分探し本」や「自分探し番組」。延々と繰り返される若者たちの「自分探し」に対して、著者はまず “自分探しのカリスマ” こと高橋歩の著書を例に挙げ、「自分探し」と「自己啓発」の間の親和性の高さに注目します。

自己啓発書が生み出すのは一時的な高揚感、もしくは癒しのみである。またそれがなくなってしまうと、高揚感や癒しを与えてくれる似たような本や体験を求めて、延々と「自分探し」を繰り返すようになるだけなのだ。

つまり「自分探し」というものが、自己啓発と同じく一種のドラッグ、あるいは宗教的なものとして作用している現状を指摘しています。「自分探し」の落とし穴に一度転落すると、そこからはなかなか抜け出せなくなってしまうのです。


さて、ではそもそもこの「自分探し」という落とし穴は、いったいどのようにして作られたのでしょうか。著者はバブル期に “フリーター” が誕生したこと、フリーターの “夢を追う” 生き方をバブル社会が肯定的に受け入れたこと、をその原因として挙げています。つまり、経済的に満たされた状況下で生まれた「ものの時代からこころの時代へ」という社会の志向性の変化が、その直接的な原因だと論じています。そしてさらに、その変化を生み出した究極的な原因を、以下の通りズバリと指摘します。

そもそも「自分探し」は文部科学省が推奨しているものなのだ。こういった指導要領を生み出したのが、「この十年ほどの日本の教育界の個性重視の教育」なのだ。

つまり、初等教育の段階で若者たちの周りにはたくさんの「自分探し」の落とし穴が掘られ、若者たちが次々とその穴に落ちるシステムがこの国には存在しているのです。「自分探し」は若者自身の自己責任的な問題ではなく、社会全体の構造的な問題なのです。

この個性重視教育・自分探し社会は、現在問題となっている「格差社会」と密接に繋がっています。そして著者が「自分探しホイホイ」と呼ぶビジネス、つまり「自分探し」願望を喰い物にしようとするビジネスによって、多くの若者たちが「〈やりがい〉の搾取」の犠牲になっています。「自分探しホイホイ」ビジネスについては、本書中でかなり具体的に名前が挙げられているので、気になる人は読んでみてください。気づかないうちに「自分探しホイホイ」が日本社会に広く拡散していることに戦慄を覚えるはずです。


著者は最後に、この「自分探しが止まらない」社会を生きていくために必要な武器を

「自分探し」に振り回されず、前向きに生きる姿勢である

と提案し本書を締めています。社会の構造的な問題を解決しないことには個人の努力だけでは正直どうにもならないと思いますが、若者へエールを送る著者の姿勢には共感できるところが多々ありました。

「自分探し」の落とし穴に転落しかかっているあなた、転落する前にぜひご一読されることをお勧めします。

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