高学歴ワーキングプア 「フリーター生産工場」としての大学院 水月昭道(光文社新書)

自分自身が博士課程に進んでしまった方、あるいはそういう人が身近にいるという方、現実を知るためにも読んでおくべき一冊。かもしれない。
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ひとことで言えば、「博士が 100 人いる村」をデータや現実の例を挙げてより詳しく提示した本です。本のタイトル(副題)もなかなかに強烈ですが、内容はそれ以上にショッキング。

現在、大学院博士課程を修了した人たちの就職率は、おおむね50%程度と考えていい。学歴構造の頂点まで到達したといってもよいであろうこれらの人たち。だが、その2人に1人は定職に就けず、”フリーター” などの非正規雇用者としての労働に従事している。

さらに

“0.024%”。これは、平成16(2004)年9月時点の日本における “自殺者” の割合だ(WHO発表)。
“11.45%”。これは、同じ年に文科省(文部科学省)から発表された、日本の大学院博士課程修了者の “死亡・不詳の者” の割合である。
10万人あたりの数値に直すと、前者は24名。後者は1万1450名。

つまり、博士課程まで進んでしまうと、50%の確率でフリーターになり、10%の確率で死亡(失踪)してしまうというのです。なんて恐ろしい博士課程。


さて、こうした恐ろしい状況を生み出している原因は一体何なのでしょうか?

著者の指摘は “既得権益者” たちによる「大学院重点化」という陰謀論に落ち着きます。既得権益維持のために、若者たちは利用され、大量の大学院生が養殖され、そして最後は人材廃棄場にうち捨てられた。

このあたりの詳しい議論は本書を読んでいただくとして(ちょっと複雑なので書くのが面倒なのです。すみません。)、ここで気がつくのは、結局「高学歴ワーキングプア」問題も、一般のワーキングプア問題と同じで “若者 v.s. 既得権益者” の構図になっているということ。そしてさらに、「大学院重点化」によって博士号取得者が世の中に溢れかえることで、「高学歴ワーキングプア」問題はますます一般のワーキングプア問題と同列のものになっていっているということ。

この点は少し強調しておきたいと思います。

例えば先日の小飼弾さんのお話では、

「博士という最高の学位を手に入れるのだから、選択・決断は自己責任でちゃんとやれ」

というマッチョなご意見が出ました。一般に、こうした意見・批判・評論は世の中に多いと思います。そしてもちろん納得できる部分があるのも確かです。

しかし個人的には、この考えに対してはやや疑問が残ります。博士号が乱発されている現状で、博士を特別視して「高学歴ワーキングプア」問題を自己責任論に押し込んでしまうのはやはり無理があると思うのです。

結局いわゆる「博士問題」というものは、それ独自の独立した問題なのではなく、社会全体のプレカリアート問題・ワーキングプア問題の一部(端成分)として存在しているものである、というのが私の考えです。なので、そもそも大きな枠組みで社会を変えることから始めないと、この問題は解決しないと思います。逆に言うと、それぐらい「博士」はもはや特別なものではなくなっているのです。

弾さんはまた、ご自身のブログの中で “博士の足軽化” という絶妙な表現もなされています。これは非常に納得できるのですが、「大学院重点化」によって無理やり増設された三流私立大学院(”三流” という表現に特に悪意はありません)においては、むしろ “博士の町民化” といってもよい現象が起きているはずです。

研究機関の兵隊(足軽)にすらなり得ない「博士」が大量に生み出されているということ、おそらくはこれが一番の問題なのだと思います。このあたりは東大をはじめとするある程度 “正統” な大学院で生まれている博士の就職難問題とは、全く別種の問題なのです。まずはそうした視点の転換から、議論をスタートさせる必要があるでしょう。


最後に少しだけ、本書を読む上での注意点を。

かなり衝撃的な内容ですし、かなり衝撃的な実例も示されていますが、あまり大まじめにショックを受けないようにご注意を。はっきり言って、内容的には偏っている部分も多いです。また著者の恨み節が入ってしまって、穿った見方をしている部分も多いです。一定の距離を保ちながら、冷静に現実を読み解いていってください。

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