読書日記200冊目記念として、挑戦的な一冊をご紹介します。とりあえず現段階で、2009年に読んだ本の中ではダントツのNo.1。読書に関わる全ての人にとって、非常に刺激的な読書体験になると思います。
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まず最初に忠告しておきます。本書はいわゆる「ハウツー本」ではありません。ポップなタイトルにだまされてしまいそうですが、実際にはフランス人らしいエスプリの効いた上質の「哲学書」。読書や評論といった行為について、独自の思想・哲学をもとに、読者に対して知的挑戦を挑んできます。なんてひどいタイトルだと思った方も多いかと思いますが、ぜひだまされたと思って手にとっていただきたいところです。
さらに忠告しておきます。本書の概要について筑摩書房のHPを見ると
欧米で話題沸騰“未読書コメント術”。本は読んでいなくてもコメントできる。いや、むしろ読んでいないほうがいいくらいだ…大胆不敵なテーゼをひっさげて、フランス論壇の鬼才が放つ世界的ベストセラー。これ一冊あれば、とっさのコメントも、レポートや小論文、「読書感想文」も、もう怖くない。
と書いてありますが、これもまたミスリーディング。本書はレポートや読書感想文を書くためのノウハウが書かれた「ハウツー本」ではありません。もちろん本書を参考に “読んでいない本について堂々と語る” ことはできるかもしれませんが、本書の本質はそこではないのです。
読書という行為を自分の中で捉え直すこと、書評という行為の芸術性を見つめ直すこと、そして本について語る自分自身の立ち位置を定義し直すこと。そうした知的行為全体が、まさに本書の読書体験そのものなのです。
さて、タイトルと概要@出版社への批評だけですでに本作品の全体を語ってしまった感もありますが(笑)、せっかくの200冊記念なので、今回はもう少しだけ細かく内容について書いておきましょう。
まず読書という行為について、あるいは「読んでいない」という状態について。
未読の状態として、著者は以下の4つを挙げます。
・ぜんぜん読んだことがない本
・ざっと読んだことがある本
・人から聞いたことがある本
・読んだことはあるが忘れてしまった本
ここで「ぜんぜん読んだことがない本」に関しても、その本を目的を持って買った(借りた)以上、実際にはページをめくる前からその本の内容の大半を知っていることが多いはずです。内容をある程度知っているからこそ買った(借りた)のですから。
ということで、いずれにしても我々はたいていの場合「読んでいる」と「読んでいない」の中間領域にいると言えるでしょう。
次に、こうした中間領域にいる状態で「その本について語る」という行為について。
ここが本書における著者の最大の主張となるわけですが、一言でいうと「本を語るのに読む必要はなく、むしろ読まない方が創造的になれて、うまく語れる」ということになります。すなわち
読んでいない本についてのコメントが一種の創造行為であるとしたら、逆に創造も、書物にあまり拘泥しないということを前提としているのである
という主張です。その背景には、オスカー・ワイルドの言葉にもあるように、読めば読むほど考えが本に影響されて変化してしまい、自分本来の意見を述べることができなくなってしまう、という危惧があります。
逆説的ではありますが、非常に説得力のある、目から鱗が落ちる主張ですね。
最後に、この主張を受け、読者が取るべき立ち位置について。
ここは本書を読んだ(あるいは読んでいない)読者が各自で考えるべきところだと思いますが、おそらく「読書を通じて自分自身を読む」ことと「書評を通じて自分自身を語る」ことが、読書の本質なのだということでしょう。
読書のパラドックスは、自分自身に至るためには書物を経由しなければならないが、書物はあくまでも通過点でなければならないという点である。良い読者が実践するのは、さまざまな書物を横断することなのである。良い読者が実践するのは、書物の各々が自分自身の一部をかかえもっており、もし書物そのものに足を止めてしまわないような賢明さをもち合わせていれば、その自分自身に道を開いてくれることを知っているのだ。
という文章にも、そうした著者の考えが強く表現されています。
つまり、最初に戻ると、「読んでいない本について堂々と語る方法」を学ぶために本書を読むのではなく、読書という行為を自分の中で捉え直すために、書評という行為の芸術性を見つめ直すために、そして本について語る自分自身の立ち位置を定義し直すために、本書を読み(あるいは読まずに)本書について語ることが大事だということです。
・・・なんてことを、本当はこの本を読まずに堂々と語れればよかったのですけどね。残念ながらすでにじっくりみっちり “読み込んで” しまったので、あまり創造的な読書日記が書けていないかもしれません(笑)あしからず。
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