多様性の創出、異端児の果たす役割

Ph.D.交流会にちなんだコラムをざっと書いてみました。ちょっと長いですが、せっかくなので載せておきます。

以前このブログでもちょっとだけご紹介した Ph.D.+αプログラム というものに関連して、少しずつコラム的なものを書いていくことになりました。初回はお試し版ということで、昨年10月に開かれた 第3回 Ph.D.交流会 with 夏野剛氏 の内容をネタに、ざっくりとコラムを書きました。お試し版なのでちょっと雑ですが、せっかく書いたので公開しておきたいと思います。

なお夏野氏の講演については動画を一般公開しているので、その動画についてもあらためて以下に載せておきます。




以下、夏野氏の講演をうけて自分なりに書いてみたミニコラムです。もし興味のある方は、夏野氏の講演を聴かれたうえで以下のコラムを読んでいただけると、より楽しめるかと思います。


「多様性の創出、異端児の果たす役割」


*多様性という指標*

生態学的あるいは進化生物学的観点から見た場合、生物の多様性というのは、生態系の成熟度の度合いを示す指標として極めて重要なものである。例えば環境変動等の外的要因に対して多様な応答をする種が存在することで、環境変動に順応する生物種が生き延び、変動による生態系の絶滅を防ぐことが可能となる。逆に、多様性を内包しない生態系は、一般に硬直的で脆く崩壊しやすいといえる。

同様のことが、人間の社会についても成り立つ。社会の成熟度を示す指標として、多様性というのは最も基本的かつ本質的なものであろう。歴史的に見ても、交通の発達あるいは他地域への侵略などにより、複数の文化・思想・宗教・哲学・民族・人種が入り乱れた場合、急激な社会の変革と進化が引き起こされてきたことがよく知られている。逆に、多様性を忌避し単一文化・民族的な社会を作ろうとする試みは、第二次大戦中のナチスドイツの選民思想をはじめ、ことごとく失敗に終わっているといえる。

「異質への寛容を放棄した社会は厚みを失い、多様性という未来への資産を切り捨てた人類は、進化の袋小路へ迷い込む」
多様性を失った組織(後編)異質への寛容と進化の逆流現象

多様性を内包しない社会も、一般に硬直的で脆く崩壊しやすい。


*夏野氏のメッセージ*

さて、そこで博士の果たす役割である。夏野氏の講演では、その役割を社会の多様性の創出という点で議論している。これは非常に興味深い論点である。博士を社会における異端児あるいは異分子という視点から捉え、急速にグローバル化する現代社会に多様性を与える存在として、その重要性が日々増していると言うのだ。過剰に博士が生み出されその存在意義が問われている現在、博士(=異端児)の果たす役割が拡大しているという夏野氏の言葉は、我々を大きく勇気づけてくれる。

その一方で、異端児として生きるうえで見失ってはいけないこと、あるいは見誤ってはいけないことについても、アドバイスを送っている。それは、大志を持った異端児の存在が重要であるということ、そして大志を貫くためにまずは必死にサバイブすることを考えろ、ということである。大志を失った異端児は、単なる変わり者であるばかりか、社会を誤った方向に導く負のファクターとなりかねない。また、そもそもその社会の中で生きていくことができなければ、異端児としての役割を果たすことは当然かなわない。これらの夏野氏のアドバイスは、常に心の中にとどめておくべきものである。


*科学者として生きること*

私自身は科学者、あるいは研究者とよばれる職に就いている。歴史上有名な科学者の中には、当然異端児とよばれるような人物が多い。彼らは科学者のコミュニティの中において異端児であっただけでなく、社会に対して、あるいは人類全体に対しても異端児として大きな役割を果たしてきた。日本にはもちろん様々な種類の博士がいるわけだが、その中で科学者という立ち位置から社会の異端児として果たせる役割について考えたい。

私の専門は惑星科学、いわゆる天文学と地球科学を合わせたような学問領域である。この研究分野における最も有名な異端児は、イタリアの科学者ガリレオ・ガリレイであろう。ガリレオは天動説が世の定説だった時代に、地動説を唱え、裁判で有罪判決を受けたことで有名である。彼の主張は当時は異端とされたが、それは突飛な発想によるものではなく、精密な観測と理論的な考察に基づくものであった。彼は自ら作成した望遠鏡を用いて、月面のクレーターを詳細に調べたり、木星の4衛星(ガリレオ衛星)を発見したり、太陽黒点の変化を調べたりと、天文学的に重要な観測を次々と行うことで、その主張の足場を固めていったのである。

ガリレオは単なる異端児ではなく、科学者として正しい姿勢で観測事実と向かい合い、科学の力を信じて大志を失わずに研究を行った、偉大な異端研究者であった。また宗教裁判にかけられながらも科学の正しさを最後まで主張し、結果として社会全体に対して、あるいは人類の知そのものに対して革命的変革を引き起こした偉大な異端児でもあった。こうした彼の強い姿勢と信念は、あたかも暗闇に光る灯台の明かりのように、我々に科学者として、また異端児としての進むべき方向をくっきりと照らし続けてくれることだろう。

奇しくも今年2009年はガリレオが初めて望遠鏡を夜空に向け、宇宙への扉を開いた1609年から、400年の節目の年である。これを記念して「世界天文年2009」という国際的な企画も進められている。また、日本をはじめ世界中の様々な地域で日食を観測することができる貴重な年でもある。非常に個人的な動機付けではあるが、今年2009年は、惑星科学者である私にとって自らの生き方や立ち位置について考えるよい機会にしていきたい。


*ネットを通じた社会へのコミット*

最後に、異端児としていかに社会にコミットしていくかについても考えておきたい。科学者と社会とのつながりという観点からいえば、近年サイエンスカフェやメディアを通じた情報交換、あるいはサイエンスアゴラのような大規模な交流イベントまで、様々なつながりの形が提案・実行されている。このPh.D.+α プログラムでは、さらにネットを通じた社会へのコミットの形を目指していきたい。

ネットの世界は基本的にはフラットな世界である。それは逆に言えば、異質なものを異質なものとしてそのまま受け入れる世界であるともいえる。また互いにフラットな関係が存在するため、双方向のコミュニケーションが成り立ちやすい世界でもある。異端児とよばれる人たちにとって、ネットは社会とのつながりを確実に容易なものにしてくれるはずだ。

「科学やテクノロジーを梃子にして、世界に非常に大きなインパクトを与えられる機会がそこらじゅうにころがっている。君たち一人ひとりが個性に応じたそれぞれの機会を追求できる。君たちみんなが、そのことに興奮すべきだ。」(ラリー・ページ)

引用:「ウェブ時代 5つの定理」(梅田望夫)

フラットな関係の中で各人が個性を前面に出し、多様性と異端性が最大限に生かされる環境。我々博士(=異端児)にとっては、まさに興奮すべきネットの世界であるといえよう。


*異端児として生きる覚悟*

博士は、異端児として社会に多様性を創出しなければならない。
博士は、常に大志を失わず社会を正しい方向に変革する異端児でなければならない。

逆説的に聞こえるかもしれないが、結局のところ博士は、社会に安易に迎合せず、むしろ反社会的ともいえるほどの異端性を保つことで、その社会にコミットし続けることが必要なのである。すなわち、自らの異端児としての尖った部分を真っ直ぐに追求すること(例えば科学者であれば研究にひたすら専念すること)こそが、最も重要なことであるといえる。そう、結局はそれが博士の本質なのだ。

「君たちの時間は限られている。その時間を、他の誰かの人生を生きることで無駄遣いしてはいけない。ドグマにとらわれてはいけない。それでは他人の思考の結果とともに生きることになる。他人の意見の雑音で、自分の内なる声を掻き消してはいけない。最も重要なことは、君たちの心や直感に従う勇気を持つことだ。心や直感は、君たちが本当になりたいものが何かを、もうとうの昔に知っているものだ。だからそれ以外のことは全て二の次でいい。」(スティーブ・ジョブズ)

引用:「ウェブ時代 5つの定理」(梅田望夫)

現代における最も有名な異端児の一人である、アップルの創始者スティーブ・ジョブズの言葉は、異端児として生きるための厳しい覚悟を我々に突きつける。そこには一切の妥協も社会への迎合も存在しない。異端児の異端児たる部分を、徹底的に見つめることを要求するのである。

私も博士(=異端児)として、ジョブズのように、またガリレオのように、大志を見失うことなく異端児としての生き方を貫いていきたい。それこそが、まさに異端児としてこの社会で役割を果たすための生き方であり、また異端児としての存在意義を全うできる唯一の生き方であると信じている。

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