科学者の不正行為とその防止策について、シェーン事件を題材に書かれた論文捏造(村松秀著:中公新書ラクレ, 2006)に最新の知見が詳しく書かれているので、これを参考文献としその内容を基に議論したいと思います。
「論文捏造」では、現在の科学社会が直面している重要な課題が次のように指摘されています。
(1) 現在の科学ジャーナルや学会発表のシステムでは、研究の再現性・正確性が客観的に保証されない
(2) 科学界の「間違い」への寛容さが、不正や捏造が発覚されにくい原因となっている
(3) 不正を立証することは極めて困難であり、また告発者は大きな責任を負うため告発のハードルが高い
(4) 内部告発のシステム(告発者の保護・調査体制・方法論)が整っていない
(5) 膨大な論文数と研究分野の細分化により、小規模の不正がそもそも見つかりにくい
(6) 最先端科学では特殊な機材や装置が研究の正否を決めるため、他者による再現性が要求されない
(7) 経済や国家との結びつきによって、不正の頻度が増すとともにそのチェック機能が働かなくなる
(8) 成果主義を中心としたアメリカ型競争社会が、不正行為を助長している
(9) 共同研究における共著者の責任の所在が明らかになっていない
これらの課題全体を通して言えることは、科学のあり方そのものが変化している中で、それを受け止めるべき科学界がその変化に対応できていない、ということです。研究成果に金や利権が絡み、国家というプレッシャーの下で、日々業績を上げることに汲々としている現代の科学者たち。その中で不正行為が行われるのは、必然であると言っても過言ではありません。また、広範な分野にまたがる最先端の共同研究を行う一方で、非常に先鋭化された特殊技術によって自分の専門分野を突き詰めている科学者たち。複雑な研究環境の中で、それぞれの研究に対する責任の所在、あるいは互いの内容の把握・理解が曖昧になっていくのは、ある程度仕方のないことでしょう。問題は、そうした現状に対応できるだけのシステムが現在の科学界に存在しないことであり、新しいシステムを作る目途すら未だに立っていないことです。
「21世紀のいま、求めるべき科学のあり方とは何か、科学が進むべき道はどこなのかといったことについて、科学者たち自身や科学の恩恵を受ける私たちが真剣に深く考え、議論を戦わせ、価値観を共有すること、そこから、21世紀の科学倫理観をしっかりと構築していくことが必須だと考える。」
「論文捏造」の中で筆者はこう主張します。我々はいま科学の歴史における重要なターニングポイントに位置していることを、各研究者が自覚することが最も重要なことなのです。
現在日本において検討されている不正対策としては、日本学術会議による研究者の行動規範(ガイドライン)作成、および不正の有無を審査する第三者的な公的機関の設立があります。特に後者はアメリカにおけるORI(アメリカ研究公正局)に対応するものであり、その効果は十分に期待できるといえるでしょう。一方で研究機関や学会などの既成の枠組みの中においても、内部告発をはじめとする不正チェックのシステムを早急に整備することが重要だといえます。そうした対策を重ねた上で、科学成果の情報公開や一般市民との間の双方向の対話を通して、社会全体として科学研究の不正行為を見過ごさない姿勢を確立していくことができれば、不正行為の防止はかなりの程度可能になるのではないかと思います。
さて、いくらこうして方法論を語ったところで、実際に研究者自身が(あるいは一般市民も含めた社会全体が)動かないことには何も変わりません。「我々は変わらなければならない」という意識をひとりひとりが持って行動できるようになるためには、科学者の不正行為の現状を常に社会に対して語りかけ続けることが重要です。ここで取り上げた「論文捏造」や「史上空前の論文捏造」(NHK)等の各種メディア、あるいは「科学界のタブー」を正面から扱った講義などは、科学者の不正行為防止へ向けての基礎作りの役割を担っています。結局、対処療法的な小手先の対策ではなく、社会全体の意識を変えるような大きな意味での科学コミュニケーションこそが、21世紀の「新しい科学」をよりよいものへと導いてくれるのだと思います。
Leave a Reply