すいかの匂い 江國香織(新潮文庫)

11人の少女の、かけがえのない夏の記憶の物語。
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優しい狂気に包まれた、江國さんらしい印象的な短編集です。正気と狂気のギリギリのところを、優雅に軽やかに駆け抜ける少女たち。江國さんの天才性がいかんなく発揮された見事な作品ばかりです。

今回はなにげに久しぶりの江國ワールドでした。というのも、実は最近「赤い長靴」という新刊が文庫で出たので、そこへ行く前にリハビリとして昔の小説をちょっと再読しておこうと思って、読んでみたんです。しかしリハビリのつもりが、一冊で完全に身も心もとろとろ。何度読んでも、江國さんの前ではいつも無力です。

特に最近は、書き出しの一文目でいきなりやられるパターンに陥っています。だって本当に素敵なんですよ。例えば「水の輪」の書き出し

せみの声をきくと目眩がするので、夏はあまり外にでない。

「蝉」でも「セミ」でもなく「せみ」、「聞く」ではなく「きく」、そして「出ない」ではなく「でない」。このなんとも江國的な言葉の選び方に、一文目からいきなり江國ワールドにまっさかさまなのです。

そしてまた、ディテールを狂おしいほどに美しく表現する江國さん。これも「海辺の町」の書き出しを引用すると

ビー玉よりおはじきの方が好きだった。おなじようにガラスでできていても、ビー玉は持ち重りがするし、ぶつけたときに、ばちんと無遠慮な音がする。おはじきの方がずっとひそやかで心愉しい。ひらべったくてやわらかにまるいおはじきは、一つずつ微妙にちがう形をしていて、完璧な球形のビー玉よりも風通しがいい。掌にのせるといかにも頼りなげなところも、私には感じがよかった。

・・・もう天才という単語以外、彼女を形容することばが思いつきません。こんな素敵な文章を書ける人がこの世にいることに圧倒されます。

しかもこうした「感覚的」な言葉遣いを、意識的に(いや “極めて” 意識的に)用いているところがにくい。

#そのせいで江國さんの文書は「わざとらしい」という感想を持つ人も多いようですが、芸術というのは本来そういうものでしょ?人間の「狂気」や「感性」を、多様な技巧を用いることで冷静に表現するからこそ「芸術」たりうるわけで、本当に感覚だけで書いたものなんて、いくら美しくても僕はそこに価値を見いだせません。なんてことを言うと、前近代的で時代遅れだと笑われるかもしれませんが (-_-;

なにはともあれ、僕は江國作品を読んでいると、とにかくあらゆる文章・あらゆる表現に心がとろけて、夢見心地で朦朧としてくるのです。ここまでくると、もはや重度の江國病患者と呼ぶしかないのかもしれません(笑)

落ち着いたら新作に手を出してみます。いまからドキドキです☆

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