Archive for 8 月 2006
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惑星科学において、惑星形成論をはじめとする理論的な「太陽系履歴」の研究は、音楽における演奏家の仕事と、ある意味において似ているのではないかと思っています。
演奏家は、作曲家を含めたその他のほとんどの芸術家とは異なり、再現芸術家という特殊な立場にあります。
彼らは楽譜に基本的に制約されます。
つまり、楽譜を通じて作曲家の想いを再現することによってのみ、自らを表現することができるのです。
もちろんそうは言っても、単に楽譜を機械的に再生することが問題なのではなく、その解釈と表現方法において、追創造というある種の創造芸術家としての契機と責任が彼らの中には含まれている、という点が重要です。
これらの立場は、現在手に入る太陽系の情報をもとに、その履歴を何らかのモデルによって説明しようとする、われわれ理論家の立場と似通ったところがあります。
太陽系の歴史によって自分が拘束されることと、歴史的対象を自分が再構成することとの、いわば弁証法的な行為を通じて過去の履歴を再現する、このことが本来的な理論家の仕事です。
ただしここで注意しなければならないことは、モデルに全ての情報を組み込み完全な形で歴史を「再生」してしまうことは、本質的には何も述べていないことと同じであり、それぞれの素過程の解釈をそれぞれの表現方法によって追創造することこそが、惑星形成論・初期進化論の主題であるということです。
このことは、近年クラシック界で急速に増え出した古楽器演奏家についても言えることです。
過去の模倣的再生ではなく、あくまでも新しい解釈・表現方法として、原点回帰というひとつの追創造がなされるべきなのです。
われわれも、歴史の再生そのものに意味を見い出そうとすることは、(少なくとも再現芸術家としての惑星科学者たらんとする場合において)、無意味な行為だと自覚するべきです。
さてその一方で、もともと音楽が純粋な創造芸術として生まれたものであることも忘れてはいけません。
作曲家兼演奏家であった「当時の現代音楽家」たちの仕事をどう追創造するかについては、これまでにもいろいろな試みがあります。
その中でも非常に特殊な試みとして有名なのは、ピーター・セラーズという演出家によるモーツァルトオペラです。
彼はオペラの舞台を現代のニューヨークのスラム街、あるいは摩天楼に移し、現代の設定のもとでオペラを再現しています。
すなわち、モーツァルトの「表現方法」のみを再現するという立場に立って追創造を行ったわけです。
モーツァルトの時代にモーツァルトの音楽が持っていた現代性を、20世紀の現代性に読み直して表現する、非常におもしろい試みです。
こうしたタイプの再現芸術の評価の是非はともかくとしても、再現芸術の多様性と可能性の広さは、そのまま音楽のおもしろさにもつながっているのだと思います。
そしてこれは、惑星科学における惑星形成論の汎化、つまり系外惑星形成まで含んだ汎惑星形成論の構築過程に近いともいえるでしょう。
「フルトヴェングラーのレコードは、フルトヴェングラーの影すら留めていない」(チェリビダッケ)
フルトヴェングラー自身がレコーディングに全く興味がなかったことは、カラヤンが音楽媒体に異常なほど興味を示したことと同じぐらい有名です。
「レコードの誕生により、歪められた音楽、精神を喪失した、ただうわべだけを繕う単純なきれい事が、止めどもなくはびこることになった」(フルトヴェングラー)
フルトヴェングラーの「名盤」を通して、はたして我々は何を聴いているのでしょうか?
「テンポも、音色も、楽器間のバランスも、聴き手の反応を含めたホールのコンディションと演奏者のその日の気分によって変わる」(フルトヴェングラー)
フルトヴェングラーは常に、その場における音の響き方を感じながら音楽をコントロールしていたと言われます。
ところが当時のスタジオ録音においては、技術水準の低い再生機器から「どのように聞こえるか」によって、テンポも音色も楽器間のバランスも変える必要がありました。
「これは私のテンポではない」(チェリビダッケ)
再生機器の性能が向上した現在、フルトヴェングラーのスタジオ録音盤を聴くことに、どれほどの意味があるというのでしょう?
「リズムが歪み、フレーズが伸縮し、テンポが揺れる」(フルトヴェングラーを生で聴いた人々)
一方、フルトヴェングラーのライブ録音からは、彼の音楽に対する哲学の一部が垣間見れるかもしれません。
ですが、もちろんライブ録音はスタジオ録音の場合よりもさらに劣悪な録音状態にあり、そのような録音がフルトヴェングラーの音楽を完全に収録しているとは到底思えません。
こんな音楽を聴いて何が分かると言えるのでしょう?
「人類の音楽は、フルトヴェングラーの戦時中の演奏をもってその頂点とするんじゃないだろうか」(丸山眞男)
しかしそれでもなお、我々はフルトヴェングラーの録音を聴き続けるしかありません。
たとえフルトヴェングラーの全てを伝えていなくとも、残されたその録音は、後世のどのような指揮者によるどのような生演奏よりも「すぐれた音楽」である、ということだけが歴然たる事実だからです。
ラトルの表層的な音楽解釈、ゲルギエフの野蛮な響き、アーノンクールの奇を衒っただけの演奏。
ブランド化したウィーンフィル、精神性を失ったベルリンフィル、猿真似になり下がった古楽器集団。
もはや現在のクラシック界には、フルトヴェングラーと比較できる対象すらいないのでしょうか。
我々は一体いつまでフルトヴェングラーの戦時中の録音を聴き続けなければならないのでしょうか・・・
「でも、あんな悲劇的な状況と、悲惨な経験を抜きに最高の演奏が生まれないとしたら、<音楽>とはいったい何なんでしょう」(中野雄)
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駄盤!駄盤?BAN: フルトヴェングラー
折々の記:稀有な体験
みなさんの中にも、村上春樹が大好きな方がたくさんいらっしゃることでしょう。
僕にとっても、村上春樹は好きな作家の1人です。
有名作品はだいたい読みましたし、彼の作品に心酔していた時期もありました。
朝は父親の出勤に合わせて6時起きで朝食。
もうすぐ飛行機に乗ります。
シューベルトの交響曲第7(8)番、通称『未完成』についてのちょっとした考察。
(1)『未完成』は未完成である
交響曲というものは(特に当時は)4楽章まであるのが常識であり、2楽章までしかない曲は未完成に決まっている。
また実際に第3楽章のピアノスケッチも残っており、シューベルト自身が第3楽章以降も曲を続ける予定であったのは明らかである。
(2)『未完成』は未完成ではない
シューベルトは交響曲第8(9)番をその後完成させており、『未完成』については第2楽章以降を続ける意志は無かったと考えるのが妥当である。
おそらく第2楽章までで(意図していたかどうかとは別にして)音楽が完成してしまったため、「完成した」と見なして作曲を終わりにしたのであろう。
『未完成』の解釈には、基本的には以上の2つの考え方があります。
しかし結局はどちらも推測の域を超えず、『未完成』という曲の持つ意味について何ら新しい情報を与えるものではありません。
そこで、この曲が「未完成であるのか否か」について、「交響曲」というものの基本的な構造を捉え直すことにより、その問いそのものの持つ意味を浮き彫りにしたいと思います。
ベートーヴェンによって確立された「交響曲」の基本構造は
主題提示A → 主題提示B → 展開部 → 再現部A → 再現部B
というソナタ形式を持った楽章が、その楽章のみで閉じることなく第4楽章まで様々な展開を行った後、最終楽章のフィナーレにおいて各主題は解決され予定調和の中で終焉を迎える、というものでした。
それに対して『未完成』の第2楽章は
主題提示A → 主題提示B → 再現部A → 再現部B
という、ほとんど展開部らしい展開部を持たない構造をしています。
また第1主題の冒頭に現れる「運命の動機」に対する解決は最後までなされません。
(なお第1楽章の中盤で、この動機に対する展開部相当のものは存在します。)
しかしこの曲は、第2楽章の最後の数分で、再現部が断ち切られた後に突如予定調和的なメロディが現れることによって、全体がある種の解決をみているのです。
これは異常な事態です。
ベートーヴェン以降の交響曲の最大の魅力は、展開部および最後のフィナーレにおける各主題の解決にあります。
主題をどうこねくり回すのか、様々な意味を込めた各主題をどうまとめ上げるのか、その「過程」にこそ作曲家の信念やアイデアが込められるべきなのです。
つまり、もし『未完成』が第2楽章で「完成」されているのだとしたら、シューベルトはそれらの「過程」を全て否定したことになるのです。
近現代の作曲家の中には、各主題を解決させないまま強制的に曲を閉じたり、ほとんど展開部を持たないまま最後に「天の声」的な解決をしたり、という掟破りの曲を書いた人は確かにいます。
しかし、シューベルトが生きた時代に、意図的にその形式を壊した作曲家はおそらく皆無でしょう。
『未完成』がやはり未完成なのであれば、おそらく最終楽章において何らかの解決が図られたのでしょうが、第2楽章の最後にあからさまな形で曲の終わりが示唆されている以上、やはり『未完成』は完成していると考える方が妥当なのかもしれません。
以上より、もし『未完成』が
「各主題(≒多様性)を人為的に解決(≒汎化)することなんかできっこない」
という交響曲に対する極めて挑戦的なアンチテーゼとして「完成」されたのだとしたら、これは実は交響曲史上の大事件であったと考えることができるのです!
###おまけ###
『未完成』の音楽的構造を理解するためには、ヴァント・ベルリンフィルやアーノンクール・コンセルトヘボウあたりがよいと思います。
C. クライバーの演奏はもちろん最高ですが、極めて感覚的な音楽なので構造を見るのには向いていません。ただしとにかく素晴らしいですが!
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シューベルト作曲交響曲第八番「未完成」に関する一考察-柴翁記
Yahoo!ブログ - 夜明ヶ前
マイミクさんと銀座ランチに行ってきました。
天才・鬼才・奇才。
若くしてステージでの演奏活動に見切りを付け、スタジオ録音に異常なまでに執着した、異色のピアニスト「グレン・グールド」。
彼の才能が最も強く発揮されたのがバッハのピアノ曲でした。
グールドは音楽家としてのスタイルのみならず、音楽解釈においても異色であり、バッハの伝統的な音楽に対して新しい解釈を次々と打ち立てました。
スタジオ録音における全てのテイクは新しい解釈の実験であり、1つの前奏曲やフーガについて10を超えるテイクを録ったと言われています。
そしてあろうことか、複数のテイクを組み合わせ、つなぎ合わせることによって最終テイクを作り上げるという荒技をやってのけたのです。
彼にとって、演奏は「完璧」な解釈を提供することこそが全てであり、その表現方法としてスタジオ録音を選んだのです。
こうして作成された(まさに「作成」されたのです!)彼の演奏は、それまでの伝統的な解釈を大きく揺るがす、全く新しいバッハの音楽でした。
グールドは、多様な音楽解釈の可能性とその必要性を、自らの創造的解釈の成功を通して我々に示したのです。
・・・と、ここまではめでたしめでたしなのですが。
グールドの最大の誤算は、彼の奇抜ともいえるバッハの新解釈があまりにも一般の人々に受け入れられ過ぎたことでした。
「伝統とは起源の忘却だ」(フッサール)の言葉の通り、バッハの音楽の原点が時とともに忘れ去られようとしていた中、過去の解釈にとらわれない自らの新解釈を提示したグールドの演奏は、本来のバッハの音楽のあるべき姿を見事に浮き彫りにしました。
そしてその演奏は、バッハ演奏の原点として位置づけられるようになったのです。
これ以降、バッハのピアノ曲はグールドの演奏を「絶対基準」として演奏・鑑賞・評論されることとなります。
特に「ゴールドベルク変奏曲」に関しては、グールド以外のピアニストによる全ての演奏は、グールドの演奏と比較されるためだけに存在しているといっても過言ではありません。
あらゆる演奏の行き着く先はグールドであり、あらゆる解釈はグールドの世界から逃れることができないのです。
なんとも皮肉なことではありませんか。
音楽解釈の多様性を追求し、その必要性を訴えてきたグールドは、自らの音楽が「絶対的」なものとなることによって、むしろ多様性を失わせる結果を生んでしまったのです。
もう一度バッハのピアノ曲に多様性を与えるためには、(現在のクラシック界にグールドを超えるピアニストがいるとはとても思えませんが)、いずれまた現れるであろう新しい天才に音楽解釈多様性の可能性を託すよりほかないのでしょう。
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USHINABE SQUARE 〜クラシック・名盤・名演と消費、生活、趣味のブログ
まぁちゃんのクラシック音楽覚え書き
これまでにもいろんなHPを作ってきたが、Web 2.0 時代に突入ということで今回全く新しくサイトを立ち上げ直した。
さっそく買いました。
でも配達に2週間近くかかるらしく、そのころには唐津に帰っているので実際に手元に届くのは9月に入ってからです。
Power Mac G4 から、G5 を飛び越しての Mac Pro です。
すさまじく処理速度が増していることでしょう。
楽しみです。
###
購入した Mac Pro の仕様は以下の通りです。
CPU:3.00 GHz QUAD XEON
HD:250 GB
メモリ:2 GB
ドライブ:Super Drive
カスタマイズした結果 412,560円 になりました。
今年度の科研費の半分近くが飛びました (*_*)
昨日まで2泊3日でうちの指導教官の別荘に遊びに行ってきました。
ついに出ました、Intel Mac のデスクトップ Mac Pro!
いろいろカスタマイズして40万ぐらいか。
早く買いたい。
明日にでもAさんに見積もりを見せて、明後日にでも注文しよう。
来週にでもセットアップしよう。
これで一気に研究のペースが上がる!ってことになればいいんだけどなあ。
まあでもとにかく楽しみ!
さて肝心の研究の方は、大気構造を変えたら(Tianのモデルに合わせたら)計算が発散するようになってしまった。
おそらく人工粘性の項がうまく働いていない気がする。
これまでの計算では人工粘性の項が必要とされてなかったので(というかそういう初期条件のもとで計算をスタートさせていたので)問題なく解が収束したけど、どうやらここで真面目に人工粘性について考えないといけなくなった模様。
ひとまず Yabe さんの論文を眺めてみて、一般的な人工粘性の入れ方について勉強しよう。
明日は月惑。研究ができないな。
明後日〜明々後日はAさん別荘。
その次の日もたぶん予定が・・・。
う〜ん、しばらく研究が進まない。
困ったものだ。
ようやく行ってきましたよ、若冲と江戸絵画展。
今朝はちょっと寝坊してしまったので大学に行く気が起きず、そのまま非日常モードへ突入。
突然思い立って上野まで行ってきました。
久しぶりの美術展。
相変わらず人が多かったですが、一応平日のお昼だったので、休日だともっと大変なことになっているのでしょう。
平日を空けて行って正解でした。
さて、絵画展ですが、マイミクさんの日記である程度状況を理解して行ったんですけど・・・う〜んやっぱり若冲少ないね orz
もっと持ってるでしょ、プライスさん。
#やはりこれは、三の丸尚蔵館にも行かざるを得ないようです。
でも数は少なかったけど、若冲は本当に素晴らしかったです。
最初の方は長沢芦雪や亀岡規礼の作品にもため息をついて「素敵だなあ〜」と魅入っていたのですが、若冲の作品が登場してからはそれまでの展示がかすむほどの素晴らしさ。
構図といい色彩といい遊び心といい、圧巻でした。
古典に則したものから挑戦的な作風のものまで、バランスよく展示してあったのでたっぷり楽しめました。
その後の江戸文化を匂わす展示もユニークな作品が多くて面白かったですが、やはりなんと言っても若冲ですね。
こんなに真剣に若冲の作品を見たことはたぶん初めてだったので、ずっと興奮しっぱなしです。
やっぱりもっとたくさん見てみたいなあ。
この展覧会は若冲を前面に出しているので、他の作家へは見てる側としても注目度が下がるのですが、何点か気になる作品もありました。
どうやら僕は長沢芦雪と鈴木其一が好きらしいです。
そして酒井抱一は(鈴木其一のお師匠さんですが)あまり好きじゃないらしいです。
江戸絵画はあまり詳しくないので今はまだよくわかりませんが、もう少しいろんな作品を見て、このあたりの違いを勉強してみたいです。
とりあえずは三の丸尚蔵館に行って、若冲をもっと見てこよう♪
WWDC2006の初日、ついに Intel Mac のデスクトップ機を発表!
今日は完全休養の予定だったが、後輩から発表練習に付き合ってほしいとの連絡が来たので午後から大学へ。そのついでに断熱大気のプログラムを見直してみることに。
・・・ミス発見。
修正→再計算→ポリトロープ大気の解と一致。
なんかサクサク進むな。
次はいよいよQを与えての計算。
まあここまでの計算が問題無くできているので、Qを与えた途端に変な結果が出ることはまずないよね。
ちゃっちゃとやっちゃいましょう。
問題は、Tian et al. (2005) の結果と比較しようとするとQの与え方が相当に面倒なことをやっているので、そこでちょっと苦しむぐらいか。
明日から1週間はイベントが続くから少し研究のペースが落ちてしまうけど、今月中に大気散逸計算の下準備はなんとか終わりそう。
・・・そういや、CIP法でのプログラムの書き直しはどこかでやっておいた方がいいのかな?
ようやく部屋の掃除・布団干しができた。
さわやかな素敵なお休み。
でも夕方からは大学へ。。。
昨日途中で断念していたポリトロープ大気の半解析解を求める計算を再開。
数値計算の方は長時間の計算で収束解が得られていたので、これと比較するための半解析解。
Gさんによると1週間ぐらいかかる、かなり面倒な計算とのこと。
でも来週はイベントがいろいろあってあまり研究できなさそうだから、今日中に終わらせておきたい。
ということで、ごちゃごちゃプログラムを書いて、さっそく計算させてみることに。
・・・数値計算の結果と一致!
意外と簡単だった。
まあGさんからまとめノートをもらっていたから、比較的サクッとやれたわけだが。
さて、次のステップはエネルギー方程式を入れての断熱の場合の計算。
この前一度やっていて、一応それっぽい収束解は得られたのだが、γの値をポリトロープ指数と同じにしてもポリトロープ大気の場合の解と一致しない。
これって一致しなきゃいけない、、、よね?
ちょっともう少し考えてみよう。
プログラムのミスかもしれないし。
明日は完全休養だから、月曜日に(月惑をサボって?)やり直してみよう。
早く一層加熱大気に移りたい。
今週は6時起き7時出、11時帰宅の規則正しい生活を送っているので、そろそろちょっと眠くなってきた。
明日までだからなんとか乗り切ろう。
朝早い方が一日が充実しているので、このままこの生活を続けたい。昨日走らせて帰った長時間の計算の結果が出ていた。
等温大気の場合は完全に解が収束しているので、計算をし続けると全体として速度が下がってしまう可能性は否定された。
しかしそうなると解析解とのわずかなズレが結局解決できない。。
まああれぐらいのズレはしょうがないのか。
ポリトロープ大気に関してはかなり長時間計算したにもかかわらず、まだ収束していない。
その後もさらに長時間計算したが、それでもまだ収束していない。
今夜はさらに1桁反復回数を増やした場合を走らせて帰ることに。
明日の朝までに計算終わってるかな・・・。
一方、エネルギーの式も加えて断熱大気の計算も走らせてみる。
まだ短い時間しか計算していないが、とりあえず変なことは起きずにちゃんと計算できている模様。
あとはこれがポリトロープ大気の場合と同じ結果になるかを確認するだけだが、ポリトロープ大気と同じかそれ以上の計算時間がかかることを思うと、なかなかつらい。
こちらも長時間の計算を走らせた状態で明日の朝を待つことに。
そろそろポリトロープ大気の解析解の論文が欲しい。
断熱大気=ポリロープ大気=解析解が示せれば、次はいよいよQを与えての計算。
ここが1つのヤマだな。
月惑までに1層加熱大気までやれれば御の字なのだが、やや厳しいか。
等温大気の場合のParker (1964) の解析解を計算。
数値計算の結果とわずかにずれる。
数値計算の結果の方がやや低い速度になってしまう。
なぜ?
ポリトロープ大気の計算まで計算終了。
解析解の載っている論文がわからないのでとりあえず計算時間を長くしたものと比較してみることに。
かなり長時間計算するが、まだ大気上端まで定常状態になっている感じになっていない。
そこで、ひたすら長時間の計算を回したまま帰る、もといボーリングへ。
明日の朝が楽しみ。
気がかりなのは等温大気・ポリトロープ大気のいずれでも計算時間が長くなるにつれ速度が全体的に落ちているんじゃないか、ということ。
ポリトロープ大気で長時間計算を走らせているので、明日の朝になれば結果はでるが、もし速度が全体として落ちているようだと、プログラムに問題がある。
もしかすると大気上端に大気が溜まって速度が落ちていっているのかもしれない。
そもそも、いまの計算スキームにおいて、大気上端から粒子を逃がすことを陽に表現する必要があるのだろうか?
速度が落ちるようなら、おそらくそれが原因だろう。
でも、、、大気上端の密度が増え続けていないから問題なさそうなんだけど。
まあとにかく明日の朝を待とう。
うまくいっていれば、次は断熱大気(Q=0)を計算。
ポリトロープ指数と断熱大気のγを同じにすれば、同じ結果がでるはず。
それを確かめることができれば、解析解と比べるまでもなく正しい結果であることが確実になる。
エネルギー方程式を入れたらまた計算が不安定になりそうで怖いな。。。
「ユナイテッド93」の試写会に行ってきました。
大学のオープンキャンパスに朝からかり出されていたため、ほとんど研究はできず。
プログラムを少しだけ修正:CFL条件を満たさなくなった時点で計算を強制終了。
毎回CFL条件を調べて時間ステップを決め直す方がよいのか、適当な時間ステップで計算を繰り返した方がよいか、ちょっと悩む。
前者の方がスマートだが、計算時間がかなり増える分、今の段階では後者の方が楽そうだな。
Parker (1964) の解析解を出そうとするが、よくわからず。
論文が古いので読みにくい。
明日あたり暇を見つけて解析解を出すところまではやっておこう。
これから映画の試写会。
今日はここまで。