圧巻です。
850ページという巨大作品ですが、全く長さを感じることなく最後まで読み切れる秀作です。
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本書が東野圭吾の最高傑作だと言われるのがよくわかります。
ドラマを見た方も多いかと思いますが、ドラマとはかなり異なる構成になっているので、本書を読んだことのない方にはぜひ読んでもらいたいです。
###注意!###
ドラマをまだ見ていない方は、まず本書を読んでからドラマを見てください。
その方が本作品を何倍も楽しめます。
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さて。
以下、少しミステリとしての本作品の意味について書きたいと思います。
ミステリに興味のない方、ごめんなさい。
あまり詳しく書くとネタばれになってしまうので書きづらいのですが、本書はドラマとは違って完全にミステリ調の語り口になっています。
ただし異常なのは、全ての事件について、最後まで完全な謎解きがなされないことです。
真相が明かされないまま、物語は幕を閉じるのです。
もちろん様々な状況証拠や本文中の記述から、何が起きたはずであるか、は容易に予測されるのですが、犯人による告白や犯行の描写などは最後まで一切ありません。
東野圭吾は以前に『どちらかが彼女を殺した』や『私が彼を殺した』という作品において、犯人を明かさない本格推理小説というものを書きました。
これらはいわゆる「読者への挑戦」を行った後に「解決編」を載せないという、型破りな小説でした。
推理に必要なものは全て提示したのだから、真面目に読んで論理的にきちんと考えさえすれば犯人は自ずと分かるはず、というまさに「読者への挑戦」を行ったのです。
一方本作品では、読者への挑戦を放棄する代わりに、全ての謎に対して解決を与えずに多様な可能性を残す、という方法をとっています。
(もちろん普通に考えれば犯人ははっきりしているので、多様な可能性があるというのは言い過ぎかもしれませんが)
このことは、推理小説における「神の視点」の排除の一形態だといえるのではないかと思います。
犯人の行動や心理を一切描かずに、周囲の人間から見た「状況」のみが与えられるというのは、現実の世界においては当たり前のことですからね。
そうしたミステリ界におけるひとつの試みとして本書を読み直すと、また新しい魅力が発見できるかもしれません。
なんかグダグダ書きましたが、まあとにかくいろんな意味ですごい作品なので、未読の方はぜひ。
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So-net blog:MinMin日和♪
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