りんごの涙 俵万智(文春文庫)

俵万智さんの初エッセイ集。なので、もう15年ほど前の本です。万智さんが「サラダ記念日」でデビューした後、歌人として生きる道を選ぶために学校の先生を辞めることになった、ちょうどその頃のエッセイが収められています。
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教師を辞めることへの想い、歌人として生きることへの想い、一緒に3年間を過ごした教え子たちへの想い、いろんな想いのこもった素敵なエッセイ集です。
ひとりの人間が人生を生きるということ、そしてその人生において大きな決断をするということ。そんなことはみんな毎日やってる当たり前のことかもしれません。でもその背景にはみんな大きな想いがたくさんあって、いろんな物語がそこには存在している。そのことをあらためて感じさせてくれた一冊でした。万智さんの人生に少しだけですが触れられた気がして、なんだか幸せな気持ちです。

ちなみに最後の方はこうした教師退職関連の話で、こちらもついつい目を潤ませながらの読書(でも電車の中だったので涙がこぼれないようにがんばって耐えましたが笑)になりましたが、基本的には思ったことや感じたことを書き連ねた気楽なエッセイなので、どうぞ気楽に読んでみてくださいね。ときどきドキッとするような鋭い視点からのエッセイがあったりして、結構おもしろいと思いますよ。

最後にちょっと気になった文章を書き抜き。

「この本がおもしろいということは既に知っている。だからもう一度読む時間があるなら、別のものを読もう」と、つい考えてしまうのだ。
「この本がおもしろいということは既に知っている。だからもう一度読もう」ーそう発想できるのが、子ども時代の読書だった。

なんかいろいろ考えさせられますね。特に最近は乱読気味なので。。
本当は少しずつ「量」の読書から「質」の読書に移行していきたいとは思っているのですが、まだ今はいろんな本を読みたいという欲求の方がどうしても勝ってしまいます。どちらの読み方が幸せなのでしょうね。むー。

もひとつ最後に。ちょっと論点はずれますが、最近 twitter で読書に関してつぶやいたことがあったのを思い出したので、それを転載。

「教育とは、学校で習ったことをすべて忘れたあとに、残っているところのものである」(アインシュタイン)であるならば「教養とは、本で読んだことをすべて忘れたあとに、残っているところのものである」でもいいよね?大量に本を読み潰す行為が単なる「消費」に過ぎないかもしれないことへの言い訳。

むー。

2 Comments

  1. 今日も・・、
    いえ、日々深くなってゆく読書日記ですね・・。
    興味深いので・・またゆっくり読み返してみますね。

  2. >こころんさん

    日々深まっていく・・・となっていればいいのですが (^^;
    博論が一段落して、最近はのんびりとした読書をやってます。
    そろそろまた博論の最後の仕上げに取りかからないとっ。

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