オートフィクション 金原ひとみ(集英社)

「太陽の季節」(石原慎太郎)が50年代、「限りなく透明に近いブルー」(村上龍)が70年代の若者を扱っていたのに対し、本書は現代の若者の日常を自伝小説風に描いた作品です。
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ここでもまた、新しい若者像が極めて現代的な手法によって描き出されています。

50年代の若者が持っていた若さというエネルギーはここでは完全に失われてしまい、リアルな世界で生きていくにはあまりにも脆く弱々しい若者の姿が無防備にさらけ出されます。
しかしその一方で、頭の中に渦巻く言葉とエネルギーは、抑えきれずに堰を切ったように次から次へと外部へ流れ出し、本書の文章を浸食していきます。

頭の中にしか存在しないという意味で非リアルであるはずの彼らの世界は、それらが文章化され小説の一部を成していくことによって、次第にリアルな世界との境界を曖昧にしていきます。
自分自身の内と外との区別が曖昧になり、自己と他者・リアルと非リアルの境界が見えなくなっていく、この不安定で拠り所の見つからない世界はまさに現代の若者の心象風景そのものであるような気がします。

強い自己愛を持つ一方で他者への強い依存を示し、ヴァーチャルな共感能力が高い一方でリアルさに対しては鈍感である、そんな自己矛盾を抱えた若者たちの日常を、物語の内容ではなく文章の表現技法によって描き出している点が非常に興味深いです。

そもそも「オートフィクション」という言葉自体、フィクションの手法で自伝というノンフィクションを書く、という自己矛盾を含んだ小説形態を指しているんですね。
そういう意味では、小説全体がはっきりとした意図のもとに描かれており、不安定な文体の割には一本筋の通った落ち着いた物語であると言えるでしょう。

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最後に全くどうでもいいことですが、真っ赤なカバーがとても魅力的です。
文庫化されたとしてもあえて単行本を買いたくなる、そんな一冊ですね。

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